人間が生きているからには、その人間が使う「ことば」も生きています。「ことば」はわれわれ人間の生とはまた別の生を持っています。
自国語や他国語に翻訳するという作業は、まさに「ことば」そのものと対峙すること。
チェックをしていて、「ことば」が死んでしまっているなと感じることがあります。内容の理解が不十分だったために、ことばをただ単にそれに対応する他の言語の「文字」に置き換えただけのとき。文字は左右に置かれた文字と一緒になり、いろいろな意味合いを持つことがあります。それが生きていることばであると思います。
辞書を引けば、同じ文字で登録されていることばがたくさんあります。でもそれぞれの奥には、ニュアンスの異なりがあったりします。「持つ」という言葉ひとつにも、いろいろな形の「持つ」があると思います。
文字のその奥にあるものを感じながら書かれた文字は生き生きしているように見えます。そのように使われたとき、文字は初めてことばになるのだと思います。
文芸書の翻訳では当たり前のことでしょうが、資料やマニュアルが中心の産業翻訳では、まだ「正確であること」が第一で、「翻訳がことばを操ること」には距離があるように思います。
「翻訳がことばを操る」のは、「意訳」につながるかもしれませんが、産業翻訳の世界もそろそろ「意訳」に踏み込んでもよい時期かなと思います。